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Amazonレビューより

★がんばらないといかん 2013/4/24
By moko1590

 

本書は「栗本慎一郎最終講義-歴史学は生命論である」と合わせて読むべきだと思う。もっと言えば「意味と生命」「パンツを脱いだサル」「幻想としての経済」「経済人類学」などなどの栗本著作を一通り読んだ方がいいと思う。
他の場所ではなくダナキル島、北満州南シベリアで、特異な種の進化のようなものが起きたのはどうしてだろうというそのしくみまでは一読した限りではよくわからないが、

西欧と日本において起きた一定領域における恒常的な「根拠薄き正統と根拠強き異端との対立」・文化の二重性、が、北満州南シベリア~シュメールを起点として既に生じていた「病」を増強し今日に至った、という点は一刻も早く常識になってほしいと思う。

今この時もますます大部分の人類が「根拠薄き正統」の妄想から出られないまま日々奮励努力し、「異端」を破壊しつくしひいては人類丸ごとを自滅させるタイプの活動を続けている。
そのことに気付きながら「根拠強き異端」に堂々と肩入れできず流されている者は、根拠薄き成功に満足しようとする自らの無明を恥じるべきだと思う。
「根拠」について予感すらできないほど感性がさび付いて完全犯罪的な詐欺にコロッとやられているような大部分の者にはなんのことやらピンともこない話だろうが。

「猫から見た人間の世界」(「最終講義」p69)が楽しみです。





★これほど密度の濃い本はない… 2013/4/26

By ウィルティ
 

超高密度。
その一言です。
西欧と漢民族が恐れたユーラシアの栄枯盛衰。
それが今の世界の成り立ちにどう影響を与えているのか。
学校で学ぶ世界史、日本史がどれだけ歪んだものなのか、そもそも「邪馬台国」の表記が間違いである、と言うことを的確に論じた冒頭部分で早くも後頭部をぶん殴られた思いでした。

縦横無尽に展開しながら、整然とした秩序を保つ論旨。
その密度はあまりにも濃くて、なかなか読み進みません。

通読したら大河ドラマ一年分、一気に観たくらいの充実感が得られる本です。





★今後の研究の参考にします(自分の) 2013/4/28

By graet_westen


他の方々がもう述べられているので重複したレビューはしませんが、栗本さんの著作を20年以上追っている私としては「私の歴史についての遺書」とあとがきに書かれているのを見て速攻で購入しました。

 

最近ミラーニューロンが発見されたが、ミーム(文化的遺伝子)がなんでもかんでも模倣するということと関連させると、「誇示」することと「残す」ことの「病」はとっても怖いことを言っていると分かる。かつて栗本さんは「欲望の源泉は生命の過剰」(鉄の処女)だと言っていたが、彼はジラールの表層還元的な「差異」を評価はしていないが、バタイユを評価しているところから見ると、「良いこと」も「悪いこと」も何でも継承する「文化」なるものによって、社会的動物である人間は、残酷なことであろうが暴力的行為(リンチや拷問)であろうが、崇高な行為であろうが(焼身自殺とかも?)、行き着くところまでいってしまうということだろう。
 

栗本さんには悪いが、私は「神」を信じてない。だがしかし、「呪われた部分?」には絶対に逆らえない。キリストは内部にいる「神」とイコンとして祀る「子=キリスト」、「聖霊」とかを一緒くたにしている点で矛盾がある。栗本さんと同様、私もキリスト教は大嫌いだ。長いこと私も考えた末だが、栗本さんは「神」を信じている一点でのみ私は同意できない。大体「内部にいるもう一人の自分」に逆らったらろくなことにならない結末を迎えることは必至だ。だから私は最近仏教に接近している。内知がもう一人の自分かどうかまではわからないが、私にはそれが人間に残された最後に「聖域」なのだと思う。自らに刃を向けるならば、それは自滅するこになる。シオランは神を題材にしたが、あるインタビューで「自分は無神論者」と公言していたが、最後はアルツハイマーにかかって入院して死去したらしいし、バタイユは「神に反逆する」文章を書きまくって最後は父と同じ麻痺によって死去している。但し、栗本さんの言う「宗教としての神」を捨てることには大い賛成。「パンツを脱いだサル」の最後で内知や暗黙知を最後のツールとしているが、私にはもう遅すぎたと思っている。次の動物に人間の席をゆずるべきではないか?その為に出来る限りあるがままの自然を残し、「きれい」に退場すること。たとえ次に万物の霊長か「猿」であろうが、「ゴキブリ」であろうが(最近のマンガであるけど)そんなことはどうでもいいと思う。なにせ「神はいない」のだから。





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