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著者・栗本先生の思いがたっぷりと詰まった「あとがき」を抜粋してご紹介します。本書の内容に興味を持っていただけると嬉しいです。

おわりに——経済人類学による全歴史の教科書 醒めない夢に

 この本は、経済人類学による地球上の歴史についての総まとめであり、いわば教科書という位置に当たるものである(ただし、人類のアフリカでの発生からいったん、南シベリアに集まるまでの歴史は別の書――特に『パンツを脱いだサル』において展開している)。


 全歴史とは耳慣れない言葉だろうが、日本史、東洋史、西洋史をすべて含むという意味である。
 全体的かつ基本的に通説と全く違う歴史観および世界観に到達しているものだが、通説と違う歴史の個別論についてはいちいち通説への批判や否定のための論証は本書では提出していない。むしろ意識的に省いている。

 

 そういうことは、いかに重大な事実であろうとも、社会やそれを統合する地球という生命体の原理の動きに含まれるものだし、そう理解すればほぼ簡単に存在(あるいは事件)が推測され、そうすれば「証拠」も見つかりうるものだからである。


 大体、歴史学界の知的現状を見るに、頭から否定してやろうと構えている悪意の者どもには正しい証明を出してもわざと否定したり無視したりするだけだからである。彼らには、個別の議論はもちろん方法論も全面的に退場してもらわねばならないのだ。『史記』の司馬遷も日本の司馬遼太郎も同じことだ。


 とりわけ経済の歴史については、ポランニー派経済人類学の始祖カール・ポランニーも私も、交換の最初としての物々交換の存在をはっきり厳しく否定してきた。理論的にも事実的にもである。
 けれども、それをまだ自分たち用の教科書に書いている輩がいる。貨幣の起源についてもだ。こんな連中やその子分といった連中に貴重な紙幅を割いてくどい説明をすることは、本書が基本的にめざしている経済人類学から見た全歴史像を初めて一気通貫的に示すという役割の邪魔になるだけだ。



(中略)



 私がこの本で示すべきものだと思ったものは次の通りだ。
 過去の本のあちこちでちりばめた地球史についての指摘は、読者が過去に優等生であればあったほど、混乱を与えてしまったはずだ。その構築された通説での世界観をゆるがせたり傷つけたりさせてしまったはずだから、それらをまとめると地球上の本当の歴史はどうなるはずかということを、つまり真実の全体像を示しておきたかったのだ。


 要するに本書は少なくとも半世紀以上の、経済人類学による真実に対する愛と追求の末の結論を、一度、筋の通った形で後進に伝えておこうというものなのである。それだけである。


 ただ、これにより、近代市場社会は人類普遍の社会ではないという経済人類学者カール・ポランニーの喝破も、古代社会の本質への見通しも、江戸時代の人口問題も、不思議な縄文社会の王国も、巨大前方後円墳の謎も、日本とヨーロッパの経済成長の基盤も、ヨーロッパ史における猫狩りと魔女狩りの愚かさも、今も続く中国の帝国主義の根源も、アラブ社会とイスラエルの激突も、みな有機的につながっているものとして理解できるはずだ。


 一見ばらばらに見えても世界の動きの根源は一つである。
 ばらばらに見ているからばらばらに見えているだけで、われわれが生きている世界の動因は間違いなく一つだ。われわれは、決して個別ばらばらの生命を営んで生きているものではない。そんな力は今の人間にはない。


 そもそも近代という事態あるいは現象自体が、すべてを合わせて一つの生命体のようなものだと考えるべきだ。実はわれわれは現象を作り出すために生きているのだ。生かされていると言っても、そう大きな間違いでもない。


 私が過去にいくつかの場所で、あるいはいくつかの機会で、生命の意味は生きること自体にあると言ったのは、ほかでもないこういうことだったのだ。そこに深遠な意味をこめるつもりなど全くなく、直截的に述べただけのことだった。


 80年代にいろいろくどくどと「意味と生命」について論じたりしたが、意味も生命も静的なものでは絶対にないぞ、また動的なことでなくてはならないぞ、と強調した。
 要するに単純に生きることそれ自体が意味だと言ったのに過ぎない。存在とはExistenceではなくBeingなのだと言ったのも同じことだ。


 私はしばしば科学哲学者マイケル・ポランニーの言を借りて論じてきたものだが、今となってあっさり言えば、彼の言葉は私にとって勉強したから理解したというようなものではなく、勝手に向こうから飛び込んでくるように私の胸に響いたものだった。そういうものなのだ。マイケル・ポランニーの前には日本の文学者坂口安吾の日本史論にただただ納得共感したことがあって、おそらくきちんと分析すればマイケルと安吾に知的共通点があることが証明されるのだろうが、ここでもまた外的証明など何の意味もないだろう。



(中略)



 そういうわけで皆さん、現時点(2013年初頭)での私の歴史についての遺書をお届けしておく。

 遺書というのはオーバーで、残し書きという程度であるべきかもしれないが、いずれにしても本という形ではもう終わりだ。研究と思索は続けるが、多分、このあとはもう猫について以外は本にはしないだろう。私ももう71歳である。研究とインテンシブな思索をさらに10年続けられるとは思いにくい。だから、歴史の総体についてはこれが最終作である。その意味で読者の皆さんさようなら。


 キメクについても聖方位についても、出来れば後進が具体的研究を深めてくれることをちらりとは夢見ているが、これまでもいくつかの夢が夢に終わったことを思えば、ただの夢に終わることを受け入れるのにもやぶさかではない。


 夢の先は墓場で見続けることにしよう。本書について語りたくば、半村良さんやフランシーヌさん、そして坂口安吾さんと語ろう。


 歴史は先人の生命と夢の痕跡をたどることでもある。それを理解すればいつでもどこでも歴史の謎を解くことが非常にたやすくなる。本書では何も書かなかったが、たとえアトランティスについてでも同じなのである。



 では皆さんさようなら。




栗本慎一郎



本文中の太字は運営側によるものです。ネット上での読みやすさを考慮して行替えなどをしています。

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